萩の会とお付き合いのある方々の紹介

澤瀬正子さん
S・Mさん
市角一雄さん
M・I さん
Kさん
市角敏子さん

[澤瀬正子さん]

 澤瀬正子さんは1942年生まれで、東京都立文京盲学校専攻科を卒業後、同級生と結婚、その後1男2女を儲けています。
 現在まで習志野市で鍼灸マッサージ業をご主人と営業されています。
 その傍ら、多方面にわたって活躍しています。その一部を紹介します。

1964年 パラリンピック出場 銀、銅メダル取得
1976年 ボランティアで寝たきり老人訪問リハビリを開始、その後20年間続けた
1976年 習志野市視力障害者福祉協会設立
       28年間にわたり、会長、副会長を務める
1979年 習志野市マッサージボランティアグループを発足
       福祉まつりやボランティア大会などでチャリティーマッサージを行う
1979年 講演活動を行う。「視覚障害者に理解を求めて」
1979年 ボランティアグループ5団体でボランティア連絡協議会を発足
1981年 TBSラジオ「クローズアップにっぽん」に取り上げられ、
       1月と6月に放送される
1981年 NHK「関東ネットワーク」に習志野市から家族で出場
1984年 フジテレビの歌番組に招待家族で出場し、「家族グランプリ大賞」を受賞
       翌日各新聞社投稿欄に2、30通の感動の手紙があった
1985年 澤瀬さんを題材にした映画「お母さんは太陽」が優秀作品賞を受賞
1989年 千葉テレビ製作のNHK教育映画「生きがいの創造『この手でやすらぎを』」出演
1997年 全国身体障害者スポーツ大会に出場
       立ち幅跳びで「金」、ソフトボール投げで「銀」メダル取得
2000年 「日本と台湾の交流会」で富士山登頂
2001年 アジア五カ国で台湾の伊澤山(3502メートル)登頂
       参加国は台湾、日本、タイ、韓国、シンガポール
       これがきっかけで月一度のハイキング開始
2001年 千葉県知事賞受賞
2002年 厚生労働大臣賞受賞
2003年 黄綬褒章受賞
2003年 アジア五カ国で台湾の雪山東峰(3201メートル)登頂
2005年 アジア盲人登山親睦交流会参加
       雪山主峰(3886メートル)登頂
2007年 身体障害者秋田わか杉国体に出場
       立ち幅跳びで「銀」、ソフト遠投投げで「金」メダルを取得
2008年5月(高)

 2008年2月澤瀬さんに寄稿文を寄せていただきました。今後定期的に掲載していきたいと思います。
寄稿文はこちらです。

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[S・Mさん]

 盲聾の重複障害を持ちながら、市内で鍼灸マッサージの治療院を開業しています。  生まれながらにして全聾、15歳から網膜剥離や網膜色素変性症で弱視となりました。 
 全然聞こえない、ほとんど見えないS・Mさんと会話する、あるいは何か情報を伝える手段は、 触手話・点字・手のひらへ文字を書くという方法です。声によって簡単な挨拶は出来ますが、 自分の意思を伝えるには、手書きメモを書く・手話・点字という方法を使います。 ですから、お客さんには墨字と点字で作った質問カードを見てもらい「はい」「いいえ」の合図をしてもらったり、 ボタンを押してもらうと振動するバイブレーターで「痛い」「ひびく」等の反応を伝えてもらうそうです。

 今まではニュース等が点訳文書で届くには、 半月くらいは遅れてしまうので最新の物を読む事が出来ませんでした。 テレビも見えないし、ラジオも聞こえないので、毎日の天気予報も知ることができませんでした。
 でも現在は、パソコンと点字ディスプレイにより墨字文書の作成ができ、インターネットとメールもやっています。 インターネットで天気予報や毎日の最新ニュースが読め、 メールによって情報交換ができるようになりました。

 北区の障害者スポーツセンターで月1回開かれる指点字のサークルにも一人で電車で通っています。
 これからはホームページを作ったり、千葉県に盲聾者の会を作りたいと頑張っています。
2002年7月(笹)

お悔やみ

 萩の会が約1年間にわたって パソコンサポートし、このHP上で紹介してきたS・Mさんは、 去る11月4日に交通事故のためお亡くなりになりました。
 謹んでご冥福をお祈り致します。

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[市角一雄(いちかくかずお)さん]

  市角さんは船橋市の病院の整形外科に10年ほど勤めていましたが、 病院を退職し、習志野市内の自宅を改築し、 鍼灸治療院を開業して2002年現在11年目になります。

 その自宅にはデスクトップとノートのパソコンをはじめ、多くのIT機器が並び、 それらを駆使し、インターネット・Eメールなど情報を収集し、 メールは多いときは1日に100通も受信します。

 この知識の習得は20年前にさかのぼります。ヘレンケラー協会により、 当時のコンピューター言語である、BASICのプログラム講習会を受講したときが、 ITに関わる最初でした。その後、さまざまな人や講習会でコンピューターや プログラムについて学び、音声の出せるワープロでご本人の言によれば、 「遊んでいた」とのことでした。
 その間、船橋市の朗読ボランティアの方にプログラム等の説明書を読んでもらい、 自分で即点訳し、点字タイプライターで文書化して覚えました。コンピューター 用語や記号を点訳するのは全盲であるため大変だったと、おっしゃっています。
 80年代の末には漢字かな混じり文を習得し、80年後半から90年にかけてパソコ ン通信を始めました。当時のコンピューターはNECの8800から9801そして 9821で、この頃までは名簿管理ソフトを作り、何人かの人にも提供し、改良を 重ねていきました。
 やがてMS−DOSからウインドウズに移り、この頃からはコンピューターは実用を 主とするようになり現在に至っています。

 現在は日常の仕事に役立てているほか、その知識を以って、盲学校の仲間や関係者か らの問い合わせや、質問にも応じています。 
2002年7月(山)

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[M・Iさん]

 M・Iさんは歩くのが早い人です。一緒に歩くと実感します。全盲ですがど うしてそんなに早いのでしょう。その理由は・・・

 M・Iさんは長年、日本盲人マラソン協会主催のマラソン大会に毎回欠かさ ず参加しています。東京の代々木公園で、毎月第1日曜に行っている行事 です。毎回4、50人の参加者があります。

 現在は更に六つ星山の会に入会しています。この会は視覚障害者と晴眼者 が共に山歩きを楽しむ会です。(注・晴眼者とは、目の見える人)
 或る日、視覚障害者向けの展示会「アメディア フェア」に行った帰り道に駅までの道を尋ね、尋ねられた人が六つ星山の会 の会長と役員でした。駅までの道すがら山の会の話を聞いたのが入会のきっ かけでした。92年のことです。日常は、勤め先の病院と自宅の往復だけの 生活が殆んどであり、マラソン以外は体を動かすことが少ない、何とかしな ければと考えていた折でした。ご本人は「ラッキーだった」とおっしゃってい ます。
 以来、第2火曜の夜は日本点字図書館で例会に出席、月に1回の山行きを 楽しんでいます。山行きにはランクがあり、きつい方に参加しています。
2000年には雑誌「山と渓谷」に視覚障害者の山行きの記事が掲載され、M・Iさ んが紹介されました。

 更に、個人的な山行きを夏、冬、ゴールデンウィークなど、年に2,3回 やっています。2002年には2泊3日で上高地へ8人(視覚障害者は2人)で行き 去年は台湾の最高峰、玉山(ユイシャン、日本統治時代は新高山、 3997m)に登山しました。3500m付近で泊まり早朝出発し、ご来光 を迎えました。一昨年は利尻山・礼文島に行き、そのエッセーがNPO法人 練馬パソボランのホ−ムページに載っています。

 このように行動的なM・Iさんは、オーディオ・パソコンも好きという一面 も持っています。私たちとの情報交換・連絡などにはEメールが活躍してい ます。
2002年7月(山)

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[Kさん]

 東京都にお住まいのKさんは、5歳から全盲だそうですが、 とてもパソコンに詳しく、障害者のIT講習会の講師をされたり、盲聾の方にも教えています。 ホームページもDOSで作って公開しています。
 私達も、千葉県の障害者IT講習会が習志野市で開かれた際、 盲聾の方の先生をしてくださったご縁で知り合いになりました。
 ご自分でご苦労なさってパソコンを覚えているし、点字ディスプレイも素早く読み取れますから、 盲聾の方に教えていただくには適任の方だと思います。
 講習会後も引き続き、先生役を引き受けてくださり、週1回東京から通ってきてくれて、 6ヶ月になります。 お陰様で、盲聾の方は現在インターネットもEメールも出来るようになりました。

 ひとりで何処へでも、電車を乗り継いで出かけられますし、 ホームページにも書かれていますが、学生時代にはアメリカに留学もしています。 泳ぐのが趣味だそうです。
2002年7月(笹)

[市角敏子(いちかくとしこ)さん]

 敏子さんが、弱視から全盲となったのは1992年頃です。子供さんが小学2年生の時だったそうです。加えて現在は週3回、血液透析に通っています。
 そんな障害を持ちながら、「出かける事が好き」と明るくおっしゃいます。習志野文化ホールに一人で行ったこともあります。視覚障害者の習字教室へ通い、千葉県国際総合水泳場での水泳教室にも通っています。

 月1回の習字教室では、立体コピーされたお手本を元に、半紙に書いて練習します。楷書はどうしても離れる部分が多いので、行書や草書が主です。それを普通紙にコピーし、更に立体コピーするという手順で、どの様に書けたか比べています。(注・立体コピーは黒い文字の部分が浮き出す仕組み)

 市川市の女性センターの家庭生活研究会で、お料理を習ったことから現在も年3回ほど、視覚障害者がどうしたらうまく洗濯や掃除が出来るかとか、身だしなみやテーブルマナーの勉強をしに行っています。

 また、共用品推進機構にもモニターとして参加しています。駅の案内のプロジェクトに所属し、視覚障害者の立場から提言などを行っています。

   共用品推進機構は障害者にも健常者にも使いやすい品物、利用しやすい設備を増やして行こうという活動です。この運動によって最初はシャンプーとリンスの区別のために容器に目印がつくようになった事は、割合知られている事だと思います。他にも、牛乳パックに半円形の切りこみがついてジュースなどと区別がつくようになった。テレホンカードは半円形、イオカードは三角形の切り込みが入っている。等便利になった点もありますが、郵便局のATMは点字の表示があるが、銀行のタッチパネルは使えないなど不便を感じる事も多いそうです。

 日常生活では、生協の注文に声の商品案内を利用しています。ちなみに生協のお豆腐には、「きぬ」と「もめん」の点字がついています。ホームヘルパーさんと一緒にスーパーにも行きます。

 視覚障害者のメーリングリスト、ジャービー(JARVI-ML)によって色々便利な情報を交換しているが、そういうものに参加していない人に、どうやったら教えてあげられるのかと常々思っているとおっしゃっています。

   なお、パソコンを使う様になったのは、1994年頃から、盲人職能開発センターで「よみとも」とか、「ヨメール」というようなパソコンソフトのもとになったオプタコンを3年間習った事がきっかけでした。オプタコンは非常に難しく、疲れてしまうので、ワープロを習いました。そしてメールもやりたくなったのでパソコンに変えて行きました。

 もう少ししたら盲導犬との訓練があるので、透析もしながら訓練を受けるとの事です。一緒に歩けるようになったら、出かけるのがもっと楽しくなるのではないでしょうか。
2002年9月(笹)

 2003年10月 盲導犬レシーダと暮らし始めて、1年が経ちました。この度、訓練の様子などを寄稿していただきました。
寄稿文はこちらです。

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